<映画>「マンダレイ

ラース・フォン・トリアー監督の「アメリカ合衆国・機会の土地」三部作の二作目。主人公は前作「ドッグヴィル」と同じなのだけど、ニコール・キッドマンは「ドッグヴィル」で懲りたらしく降板、ブライス・ダラス・ハワードに替わっている。ニコールほどの華はないけど、悪くない。

前作同様、床に白線が引かれただけの簡素なセットで物語は進行する。前作とまったく何も変わっていないという点が、なんというか潔い。
突然、奴隷から自由の身にされた黒人は一体どうなるだろう?という話で、前作同様おぞましい結末が待ち構えている。

「カラマーゾフの兄弟」の一節「大審問官」にも「人間は『自由』などという状態に耐えられないし、そもそも求めていない」という言葉が出てくるのだが、この映画が言っているのもそういうこと。近代以降、特に「民主主義」発明以降、自由は素晴らしい、自由は人間になくてはならぬものだ、という意識が自然のモノと受け入れられているようだけど、「自由」という概念は、一度徹底的に疑われるべきなのかも知れない。

次は「い」で始まる映画です。