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《略歴》 | |
昭和40年 | 長崎県長崎市に生まれる。それにしては九州男児っぽくないと言われるけど、それは生まれてすぐ東京に来たため。それにしては垢抜けてないと言われるけど、大きなお世話だ。 |
昭和57年 | 高校3年生。進路に悩みながらもマンガとロックはやめられない。ふと読んでみた「ガラスの仮面」に非常に感銘を受ける。その瞬間、芝居の神様が耳元で「役者になりなさい」とささやいたような気がした。以来、役者を志す。(あれはただの幻聴だったのだろうか? と、最近よく思う) |
昭和58年 | 日本大学芸術学部演劇学科入学。学校というものに通うようになって初めて「学校って楽しいなあ」と思った。メソード演技とかを習いだし、リアリズム俳優への道を歩き始める。 |
昭和62年 | 日本大学芸術学部演劇学科卒業。卒業前、教授に「これからはリアリズムの道を突き進んで行きます」と抱負を述べたところ、教授から「君はリアリズムの役者じゃないな」と言われる。もっと早く言ってほしかった。 |
昭和63年 | 卒業して1年半後、大学の後輩である羽広克成と共にプロジェクト(のちに劇団)ツール ド フォース結成。その中心メンバーとして、ミュージカル、チャンバラ、コント、ストレートプレイなどの全作品に出演。 |
平成7年 | 30歳。記念に何かやりたくなって、自分一人の劇団おのまさしあたあ結成(?)。初の一人芝居「赤い部屋」上演。 |
平成10年 | ツール ド フォース解散。羽広が述べた理由は「すべてを一度チャラにしたい」ワガママな奴だと思った。 |
平成11年 | ワガママな奴だと思いつつも、羽広らと共にショーGEKIを結成。その最年長役者として現在に至る。 |
平成12年 | 年間10本の一人ライブ“LIVE WITH U 00”敢行。今だから言えるけど、やりすぎだよあれは。 |
《主な出演作品》 | |
<舞台> | 「マジィーク」(三谷幸喜脚本、ニコライ36世役、於 恵比寿FACTORY1) 「八犬伝」(犬山道節役、於 全労済ホール スペース・ゼロ) 「赤い部屋」(一人芝居、於 OFF・OFFシアター) 「不死鳥の落胤」(関口武役、於 東京芸術劇場小ホール2) |
<映画> | 「ぷりてぃ・ウーマン」(健康ランドの社員役) |
<ドラマ> | 「TOKYO23区の女 〜練馬区の女」(夫役) |
<声の出演> | 「山田ババアに花束を」(父役、東宝映画) |
性格 | 基本的に温和 |
好きなもの、こと | 本、マンガ、音楽、映画、芝居 |
もっと好きなこと | 芝居をすること |
我慢ならないこと | 非常に面白い芝居を観た時、「なんでこれに俺が出てないんだ!」と思うと我慢ならない |
芝居についての持論 | 「芝居は愛だ」 |
本番1週間前、 芝居が切羽詰ってきた時に よく言うセリフ | 「神は6日間でこの世をお作りなさった。それにくらべればたかが芝居、1週間でできなくてどうする?」 |