生年月日   昭和40年1月2日
血液型   B型
身長   165cm
体重   58kg

《略歴》
昭和40年 長崎県長崎市に生まれる。それにしては九州男児っぽくないと言われるけど、それは生まれてすぐ東京に来たため。それにしては垢抜けてないと言われるけど、大きなお世話だ。
昭和57年

高校3年生。進路に悩みながらもマンガとロックはやめられない。ふと読んでみた「ガラスの仮面」に非常に感銘を受ける。その瞬間、芝居の神様が耳元で「役者になりなさい」とささやいたような気がした。以来、役者を志す。(あれはただの幻聴だったのだろうか? と、最近よく思う)

昭和58年 日本大学芸術学部演劇学科入学。学校というものに通うようになって初めて「学校って楽しいなあ」と思った。メソード演技とかを習いだし、リアリズム俳優への道を歩き始める。
昭和62年 日本大学芸術学部演劇学科卒業。卒業前、教授に「これからはリアリズムの道を突き進んで行きます」と抱負を述べたところ、教授から「君はリアリズムの役者じゃないな」と言われる。もっと早く言ってほしかった。
昭和63年 卒業して1年半後、大学の後輩である羽広克成と共にプロジェクト(のちに劇団)ツール ド フォース結成。その中心メンバーとして、ミュージカル、チャンバラ、コント、ストレートプレイなどの全作品に出演。
平成7年 30歳。記念に何かやりたくなって、自分一人の劇団おのまさしあたあ結成(?)。初の一人芝居「赤い部屋」上演。
平成10年 ツール ド フォース解散。羽広が述べた理由は「すべてを一度チャラにしたい」ワガママな奴だと思った。
平成11年 ワガママな奴だと思いつつも、羽広らと共にショーGEKIを結成。その最年長役者として現在に至る。
平成12年 年間10本の一人ライブ“LIVE WITH U 00”敢行。今だから言えるけど、やりすぎだよあれは。

《主な出演作品》
<舞台>

「マジィーク」(三谷幸喜脚本、ニコライ36世役、於 恵比寿FACTORY1)
   以上 ツール ド フォース

「八犬伝」(犬山道節役、於 全労済ホール スペース・ゼロ)
「新撰組/維新士」(桂小五郎役、於 全労済ホール スペース・ゼロ)
   以上 ショーGEKI大魔王

「赤い部屋」(一人芝居、於 OFF・OFFシアター)
「白夜」(二人芝居、於 ジェルスホール)
「デイ・トリッパーなに見て跳ねる」(於 タイニイ・アリス)
   以上 おのまさしあたあ 

「不死鳥の落胤」(関口武役、於 東京芸術劇場小ホール2)
「賭博師 梟」(ガミ役、於 中野 劇場MOMO)
「神鷲は死なない」(ガルーダ役、於 東京芸術劇場小ホール2)
    以上 オフィス・ワンダーランド

<映画>

「ぷりてぃ・ウーマン」(健康ランドの社員役)
「1980」(痴漢を捕まえる男役)

<ドラマ>

「TOKYO23区の女 〜練馬区の女」(夫役)
「バカヤロー! SPECIAL2」第1エピソード(本屋の店員役)
「新・夜逃げ屋本舗」第2話(清水一郎役)

<声の出演>

「山田ババアに花束を」(父役、東宝映画)
「集英社文庫・夏の一冊」(ナレーション、TVCF)
「サルティンバンコにつれてって!」(吹き替え、CX特番)
「プリンとダニエルの天使を救え!!」(魔王ゲッツ役、サンリオピューロランド・デイスカバリーシアター)


性格 基本的に温和
好きなもの、こと 本、マンガ、音楽、映画、芝居
もっと好きなこと 芝居をすること
我慢ならないこと

非常に面白い芝居を観た時、「なんでこれに俺が出てないんだ!」と思うと我慢ならない

芝居についての持論

「芝居は愛だ」
「芝居はソウルだ。いや、京城じゃないってば」

本番1週間前、 芝居が切羽詰ってきた時に よく言うセリフ

「神は6日間でこの世をお作りなさった。それにくらべればたかが芝居、1週間でできなくてどうする?」
「ガッツだ」