That’s the wonderful world!

2008.11.23

ショーGEKI2008年最終公演「ザンダルド」が、おかげさまでさる11/16(日)をもって全12ステージの幕をおろしました。ありがたいことにどの回もほぼ満員! おこし下さった皆様、ホントにありがとうございました。ザンネンながらご覧いただけなかった皆様、大丈夫です。12月の『80日間世界一周』でお会いできます。

さて、今回も公演を振り返って書いてみようと思う。まずは遡って本番に至るまでのこと。
「今回はこういう芝居だ」と演出の羽広に一応は聞いていたものの、なにしろモノがファンタジー。ということはとりも直さず、作者のアタマの中ではカタチをとってはいても、他の全員にとってはその時点で「海のモノとも山のモノともつかぬモノ」ということである。実際、最初にホンをもらった時にも「これは一体どんな芝居になるんだ?」と、完成型がまったく見えなかったのはぼくだけではあるまい。

ではここで、ご覧になれなかった皆様のためにあらすじを(おお、珍しい!)。

家電メーカーに勤める片岡裕司(七枝実)はある日、妻:初音(小林こずえ)が精神に変調をきたしていることを知る。仕事に追われて家庭を顧みないでいたために気づかなかったのだ。
裕司は姉:雅(中津川浩子)に初音の世話をしてもらおうとするが、雅の出した条件は「裕司もともに雅の家に住むこと」だった。やがてこの家には初音の父:俊郎(金田誠一郎)や初音の友人:千鶴(竹内美保)らも住まうこととなり、気まずくもビミョーな共同生活が始まる。
一方――
我々のいるこの世界とは別の、もう一つの世界では、女王ジルマ(吉川亜州香)の国と暴君ファリオ(内堀克利)の国が千年にわたって戦い続けていた。
この世界には一つの掟があった。それは「瞳と瞳を合わせた者同士は、永遠をともにする仲間となるか、どちらかが死ぬまで戦う敵となる」というもの。
暴君ファリオは「自分をイヤな目で見る」からといって敵も味方も関係なく殺しまくり、ジルマは戦うことに疲れている。
この、平行する世界に住む裕司とジルマの二人が、ある時、鏡の中にお互いの姿を見てしまう。姿カタチも性別も違うが唯一「瞳」だけは同じ、もう一人の自分を――この時から二つの世界は繋がり、裕司とジルマの周囲の人々も次々に「もう一人の自分」と出会っていく。世界が変わり始める……
最後に「もう一人の自分」と出会うのは初音とファリオという「壊れてしまった」二人(?)。彼らは自分と出会うことで、自分を取り巻く世界を壊していたのは自分だったと気づき、自己嫌悪から鏡の中に閉じこもってしまう。裕司とジルマは、閉じこもった二人を元の世界に戻せるのか? そして二つの世界はどこへ向かうのか?

……うーん、あらすじを簡潔にまとめられないというトコロが、今回の芝居のムズカシさを象徴しているようだなあ。
ま、カンタンに言っちゃうと「パラレルワールド(平行世界)」モノの話で、平行する二つの世界を同時進行で描こうという芝居である。普通こういう話をやる時は、世界Aのシーンがあって暗転すると世界Bのシーンが始まって……というモノになるのだろうが、演出:羽広が考えたのは「客席最後部に二つ目のステージを作り、二つのステージを花道で繋げる」というモノであった。
芝居というモノは、三次元で行われているようで、ガクブチに入っている限りは、実はほとんど二次元の世界なんです。出てる役者たちも、ガクブチの中の自分なら容易に想像できるんですね。ところがそれが、今回みたいに劇場のガクブチを飛び出した芝居になると、なんたってほぼ360度から見られるワケだから、役者の想像のワクを超えちゃう(自分の後姿なんて想像することありますか?)。となればもう演出家にまかせるしかなくなっちゃう。「完成型がまったく見えなかった」と書いたのはそういうコトだ。
しかもこの芝居、平行する二つの世界を描こうというモノだから、登場人物一人一人のカキコミは当然薄くなる。役者としてはますます不安になりますよ。「これ、ホントにオモシロくなるの?」と。

だが、通し稽古をしてみて芝居全体が見え、演出:羽広から「テンポが遅すぎ。そんなにタップリやらないで」と言われたりして、ようやくこの芝居がわかってきた。
ああ、そうだったのか! 今回やるべきことはドラマ作りじゃなくて、世界を作ることだったんだ。登場人物はみんな世界の1ピースなんだ!

役者なんて、結構エゴの強い生き物ですから、一本の芝居の中で自分のやる役がチャンと完結してないと、結構消化不良というか、イイ気持ちで終われなかったりするモノなんですね(俺だけかな?)。
しかし、今回の芝居でそんなコトをやってたら、それは5、6時間あっても終わらない長尺モノになっちゃう。そうじゃないんだ、今回やろうとしてるのは、現実の一部分を切り取って完結させる「ドラマ」じゃなくて、完結するコトなく、逆にどこまでも広がっていく「世界」を見せるコトなんだ! そう理解(あるいは誤解かも)した時、そのあまりのスケールの大きさに、ぼくはひそかにカンドーしていたのであった。「こりゃ、どえらい芝居になるかも知れないぞ」と。

二つのステージを花道で繋げる、と書いたけど、この花道(我々は「橋」と呼んでいた)が実質三つ目の、しかも一番見やすいステージである。しかも今回の目玉である「二つの世界に住む自分同士が出会い、時に入れ代わる」コトがそこで行われると考えれば、この花道こそがメインステージと言ってもいいだろう。なのでこの花道を使ったシーンの稽古に一番力が入れられた。つまり「自分との出会い・自分との対話」である。
シンクロする二人の自分、というコトで、きっと二人して同じタイミングで同じセリフを言ったりするのじゃないか?とは誰もが想像するコトだと思うけど、まさにその通りであった。どの役者ペアが揃っててどこが揃ってないか、出演者一同はあたかもエヴァンゲリオンのパイロットたちのようにシンクロ率を競いあった。
稽古中を通じ、また本番を終えて、シンクロ率の高かったペアと言われたのは、何を隠そう(別に隠すコトないんだけど)客演の高倉良文さんとぼくのペアである。のだが、これは我々だけ男同士だったからというコトもあるんじゃないかと思う。いくらタイミングがあってても、声質や声の高低が違うだけで、合ってるように聞こえなかったりするモノだからね。逆にギリギリまで一番合わなかったのは、なんと主役の七枝・吉川ペアで、「仲悪いんじゃないか」なんて言われてた。最後はなんとか合っててよかったよかった。

ぼくは何を隠そう(別に隠すコトないんだけど)、中学高校と男声合唱部にいて、それもハーモニー命の中声部だったコトもあり、人と声を合わせるコトには快感をおぼえるタチなのだ。今回の稽古にあたって、まず高倉さんが一番しゃべりたいようにしゃべってもらい、どこかあまりにも自分の希望と違うトコロがあれば話し合って調整しようと思っていたのだが、幸いお互いのやりたいコトにそれほど差はなかった。
見事に合った時というのはそりゃもうキモチイイもので、、それは自分たちのトコロに限らず、他のペアが合ってるのを聞いた時もやはりゾクゾクしたものだ。
で、またさっきの話に戻るけど、ここでまた気づいたのだ。

そうか、自分だけで完結させる必要はないんだ。自分が出ていない間のコトは、もう一人の自分が見せてくれるんだ。まかせちゃっていいんだ!

このコトに気づいた時、やはり今回の芝居は「世界」なのだなあとあらためて実感した。どんな芝居であっても描けるのはせいぜい「国家」どまりであって、「世界」を表現できる機会なんてそうザラにあるもんじゃないぞ、と思ってぼくはそこでまた一人コーフンしたのであった(ここまでくるとただの妄想かも)。

そして芝居は本番を迎えた。
普通、初演って不安のうちに初日を迎えるモノなんだけど、今回に関しては不安はカンジなかったなあ。出演者みんながこれほどイレこんでる芝居がオモシロくないワケがない!という自信があったのだと思う。芝居は大好評のうちに幕を開け、そしてそのまま全ステージを終えることが出来た。

今回、特筆しておきたいのは音楽について。
CIMEONEさんの音楽は、今回ひとつのピークに達したのではないだろうか。あのテーマ曲はまさに「世界」を表わすモノになってたし、カーテンコール曲のキモチイイこと。ぼく個人としては、蛭田課長愛の告白シーンのバックにあんなキレイな曲をつけてもらえたことがウレシかった(そのためキモチ悪さが倍増したかも知れませんが)。

映像についても一言。
演出:羽広は映像の監督もしていることもあって、ナマで映像を使うことについては以前から注意を払っていた。映像とライブはそもそもケンカしてしまう間柄で、ナマ身はどうしたって映像に負けてしまうのだ。今回は映像をあくまで背景・効果に抑えられたようで(見てないんだけど)、芝居と映像を両立させる方法を見つけたな、というカンジだったのでは。

という公演だったワケだが、あらためて、ご覧下さった皆様、ホントにありがとうございました。これからももっともっとオモシロイものを作っていきたいと思ってますので、今後ともヨロシクお願いします。
これで今年のショーGEKIも終わり、来年はいよいよ結成十年目である。長かったような、わりとあっというまだったような。そして11月には思い出深き「大逃亡」が控えているのだ。初演の時は30歳だったんだよなあとか、うっちいあすかとはあの時初めて会ったんだよなあとか思うと、結構カンガイ深い芝居なのです。皆様、来年のショーGEKIをおタノシミに。

ではまた、次は12月の「80日間世界一周」再演の後で。